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東洋のネルソン 平八郎元帥のフンドシ

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

かの田中角栄サンが、物をもらって喜ばない人間はいない、とおっしゃった。しかし、もらっても有り難くないモノもある。淋病だの、風邪だの、毛ジラミ(懐かしいね)だのはあまり有り難くない。洋服やセーター等は気に入ればうれしいが、下着の古いのは喜ばれないのが普通。ところが、普通の下着でない特別のモノだったらどうかね。


先ごろ、私めが出版した「野球のごっちゃ煮」なる本の中に書いたのだが、立教大学当時、長嶋茂雄サンの後輩で目を掛けてもらった小西秀朗サンが「オイ、これお前にやるよ」と脱ぎ捨てた練習用のユニフォーム、何とその中に今まではいてたパンツも入っていた。それを始末してしまったのだから、今考えると勿体ない。今保存していたら、それこそ鑑定団で大ブレークするに違いない。


話は遠く大正8年に遡る。静岡県は沼津の奥にひっそりと建っていた三島館という旅館に風呂番でシャレや冗談が上手く人気者の落合倉吉という男がいた。ここに東郷平八郎元帥が泊まられた折に古くなった褌を「君、これをすまんが捨てておいてくれ」と渡した。相手は日露戦争での大スター。その人の褌を捨てるなんてとんでもない。「閣下、これを私に頂けませんか。私の大事な宝物にしたいのです」。聖顔にあらわしてお願いする三助クン。おかしいのとその真面目な願いに思わずウン。物が物だけにウンのついた倉吉、そのフンちゃんを洗濯して特注の箱を作って収めておいた。


その話を聞いて、その後宿泊した子爵の小笠原長生海軍少将が、ワシが一筆書いてやろうと、「日本海クルクルまいて敵を諦めきつい手柄を欺くは下帯」と狂歌をしたためた。この評判が立って、俺も見たい、私も触りたいで人気上昇。中には金に糸目はつけぬから売ってほしいという人も出てきて大変な騒ぎ。たかが褌、されど褌…。


今やハワイは手軽に行ける人気観光地の常に上位である。しかし、このハワイに東郷サンは明治26年(1893)に行っているのである。とはいえ観光ではなく、軍艦でですがね。軍艦浪速(3709t)の艦長であった東郷サンはカメハメハ王朝という独立国がアメリカから迫害を受けているというので在留邦人保護のために行ったんだと。このハワイではいたなんて海水パンツはないのかね。


明治38年5月の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊三十八隻を全滅させたあの時「皇国の興発この一戦にあり。各員いっそう奮闘努力せよ」の御旗を旗艦三笠は掲げた。前出の立大(後に国鉄スワローズ)の小西サンも「立大の後輩これにあり。茂雄のパンツ頂き、いっそう奮闘努力します!」とやってほしかったね。


東郷サンのお墓は多磨霊園にある。


写真=日本海海戦でバルチック艦隊を撃破し「東洋のネルソン」と賞賛された東郷平八郎元帥のお墓(多磨霊園)。生誕が1847年で、没年は1934年。ネルソンはイギリス海軍を指揮した軍人で、アブキール湾の戦い(1798)で仏艦隊を、トラファルガーの戦い(1805)では仏・スペイン連合艦隊を破った

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