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気品も自信もあった 本阿弥光悦(1558〜1637)

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

字でも絵でも上手くないより上手い方がいいに決まっている。最近は芸能界でも五月みどり、八代亜紀、晴乃ピーチク、中尾彬といった人たちが絵画の方でも有名になっている。関西のお笑いタレント、ジミー大西などは芸能界からオサラバして絵筆で生活しているから凄い。字の方でも歌手の吉幾三、三島敏夫、亡くなった村田英雄といった方々……いくらでもいるけど、我ら悪筆族にとってはまったくうらやましい限りである。


時代はズーッとさかのぼり寛政の三筆といって字のメチャ上手い人がおりまして、公卿の近衛信尹と僧侶の松花堂昭乗、それに今回のお墓の主の本阿弥光悦サン。幼名が次郎三郎。次郎か三郎かハッキリしろと言いたくなるがジロサブローで一人前なんだって。


貧乏な家に生まれて幼い頃はボロをまとって散々苦労してとなると出世物語には付き物のお話だが、この次郎三郎クンは大違い。生まれた時からええとこのお坊っちゃん。家は室町時代からお金持ち。本阿弥家は代々刀剣の目利き、磨き、ぬぐいを家職としてきた名門中の名門であった。つまり光悦はサラブレッドなのでありますな。宮中をはじめ織田、豊臣、徳川の諸氏や前田公などの諸大名に出入りしてたんだから格が違う。大名武家の他一流文化人との交流ばかりで、漫才もミュージシャンもお呼びじゃない。


1615年(元和元年)に徳川家康から洛北鷹ガ峰にドデカイ土地を貰った。東京ドーム球場の6倍ぐらいの。一族郎党、親しき友や職人も連れてここに一大光悦村を築いたのであります。理想郷『光悦村』。今なら家族で一日楽しめる「光悦村」かなんかのふれこみで、お風呂へ入れて食事が出来てその上芝居や演芸が観られて、売店では光悦マンジュウ、本阿弥センベイや光悦センセ直筆の掛軸などが売られて…なんて事になったかも。光悦センセは書はもちろん陶芸、絵画、蒔絵が特に有名だったからこれらの作品を展示して特別コーナーで販売して頂いてね。


そうそう、ボクの友人で越谷市で工務店をしている水谷明氏が光悦の金銀泥下絵のある色紙を持っている。大地主のオジイちゃんから新築の家が大変よく出来た御礼にと頂いたという。お返しにうれしさんから貰った中畑清のサインバットをあげたんだと。つまり色紙とバットの交換。しかも先日鑑定してもらったらこれが本物の光悦で1000万円はするだろうと言われてウハウハ。相手のジイちゃんはその後すぐ亡くなってしまって、残っている家族はそんな事も知らないというからツイてるね。中畑のバットだけに「絶好調」。正に満塁ホームラン10本叩き出したかのよう。その友人で厚川某もホンアミを持っているというのでぜひ見せてくれと言ったら、何と川で鯉やフナなどを獲る投網の事だってんだから大笑い。


ある日、近衛信尹が自邸に光悦を呼んで話している時、信尹が「今の日本で最も字が上手いのは誰だろう」と尋ねた。そりゃあんただろうと言うのが当り前。ところが光悦、「2番目があなたで3番目は松花堂サンでしょう」。「ホウ、では1番は?」「勿論私です」。寛永14年2月3日に光悦は逝った。墓は鷹ガ峰の光悦寺に。


京都・洛北の光悦寺にある本阿弥光悦さんのお墓(写真)

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