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サイパンの戦場跡に建つ戦死者の墓

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

茨城県つくば市の塚越石材(塚越正章社長)の奥さんは肝っ玉かあちゃん。何でも言いたい事はズバズバ。3年程前に、通りがかりに寄ったら、今帰ってくると連絡があったから待っててくれと言う。そこへ社長に韓国の女性から電話が入った。「正章さん居ますか」「ナニ、正章居ねえよ」「社長さんお願いしますよ」「社長さん死んだよ」ガチャン。「韓国だの中国だのって全く何の仕事に行ってるんだかな」。そこへ「ただいまー」と正章氏。「ホレ幽霊が帰ってきたぞ」。


その石材店の皆さんと2003年1月4日からサイパンへ行って来た。この島ぐらい海を眺めてるか泳ぐか船遊びするか以外に何もする事のない島も珍しい。免税店と少々のショッピング店を除いては部屋でゴロゴロ。これ程のんびりした平和な島も1944年(昭和19)には正に惨劇の島であったのだ。


6月15日、7隻の米海軍戦艦と11隻の駆逐艦が上陸作戦開始2日前にサイパン、テニアン両島を砲撃し、16及び5インチ砲弾1万5000発と各種砲弾16万5000発を打ち込んだ。さらに2日後、戦艦8隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦5隻が合流し両島はムチャクチャな艦砲射撃にあった。建物は一瞬にして無くなり、岩石や鉄片が街路樹や車を砕いた。米軍の戦死者もガダルカナルでの2倍で、サイパンに上陸した兵員7万1034名の内、3100名が戦死し負傷行方不明者が1万3100名を数えたのである。


一方、日本の守備隊は3万1629名の内2万9500名が戦死して、2100名が捕虜として生き残っただけ。この生き残った兵士の1人が前出の塚越夫人和子さんの叔父さん。「なあ和子、飛んでくる弾丸、砲丸が俺に当たらずにこうして無事日本に帰れたのはこのお蔭だよ」と何やら汚いハンカチより小さい布切れ。そこに墨で『必勝! 万歳。無事帰還。我を守り給え睾丸の神』と書かれていた。「叔父さんこれ何だい?」と聞いたら「これか、これは俺の越中褌の切れっ端よ。な、だから大事な所をいつも守ってくれていたから睾丸の神」。ワー汚ねえと放り投げると「コラ、もったいない事するんじゃねえ。これを毎日拝んでいたから俺は助かったんだ。これを大切にしまっておけ。捨てたらバチが当たるからな。もしお前に何か困ったり大病したりする事があったら、これを拝めば必ずよくなるから」。


余り馬鹿々々しいので捨てようかと思ったがやはりバチという所が気になる。そこで紙にくるんで蔵の中の古ダンスの引き出しに入れておいた。それから幾星霜。叔父さんはとうの昔に死に褌の神様の事も忘れていた。昭和45年和子さん悪性の胃癌にかかり大手術という事になった。ハッと思い出したのが例の布。探し出して病院へ持参してズーッと握りしめて祈った。治ったのである。睾丸の布が抗ガン剤になって。


そして今回、うれしが主催した岡晴夫の三十三回忌追想記念パーティー(2002年5月椿山荘)に来て倒れ、悪性の脳腫瘍と診断。これまた大手術で絶対危ないと言われたのが奇跡の回復。そこで御礼のサイパン旅行。バンザイ崖から命を救ってくれた布を石にくるんで投げてありがとうございました。


「アッ、今度何かあったら困るよ。うれしさんのパンティおくれ!」


【写真】=サイパン島に建つ戦死者慰霊の碑

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