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鬼気迫る画を描いた テオドール・ジェリコー(1791〜1824)

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

ペール・ラシェーズでもモンマルトルでもとにかくその墓地を歩いて思わずタメ息をつきたくなるような素晴らしい墓が目に付く。


例えばここに登場するジェリコーの墓は見てわかるように青銅浮彫の美術館に展示でもされるような絵画墓。思わずこれを外して持って帰って何とか鑑定団にでも出したくなる。実際モンパルナス墓地にあるフランク・シーザー(作曲家)の墓は何と親しかった友人ロダンが銅板に彫刻したシーザーの顔が埋められているのである。本当に黙って失敬したくなる気持ちになるが、分からないのは過日あった王貞治さんの奥さんの骨ツボを盗んでいった奴。何を考えているのかねえ。


ノルマンデイのルーアンに生まれたジェリコー。間もなくパリに移り住むが世はダヴィッドの新古典主義全盛の時代であった。画家をやるからには何としてもこの筆1本で男を上げてやる この辺はこのバット1本で有名選手になってやる! と鋭いスイングで世界のホームラン王になった王貞治さんと似ていまして。ルーブルでラファエロやティツアーノ、レンブラントを模写して力強い線と表現力を身につけた。


彼は幼少の頃から馬に興味をもった。2―4か3―6で1000円はつく…違うの。


あくまで絵を描くために馬小屋へ毎日通って描きまくった。そして24才の時に近衛騎兵としてルイ18世に仕えベルギーのガンへの亡命にも従った。そうした騎兵での経験がものをいって馬を描かせたら人1倍ウマかったのだ。最初の大作となった「負傷した胸甲騎兵」はサロンの落選という結果に終わり落馬したより痛い胸の中。オイ頑張れ、男がそんな事でくじけてどうすると慰めてくれた伯父サン。その年老いた伯父サンの若い妻をこそこそ慰めちゃったジェリコー。羨ましいねこの人妻椿。しかもその人妻に子供をつくちゃったってんだから困るよねえこの芸術家も。恩を仇で返してしまったが伯父さんは太っ腹、若いアレクサンドニーヌの浮気をジッと耐えて絵を描く人に恥をかかせてはいけない  フランスいちの偉い人かフランスいちの馬鹿な奴。


ジェリコーは下の筆も健筆だったが絵筆を持ったら正に天才。そうだ歴史物を描こうと一念ボッ起…イヤ一念発起。メデューズ号がセネガル沖で起こした海難事故を題材として選んだ。1816年7月。長さ20m、幅7mの筏に150人が命を托した。その寒さと恐ろしさに発狂者が続出し、生者は死者の肉を喰らって命を永らえたという。正に地獄だ。その上嵐が来てアルゴス号に救われた時には僅か15名の生存者だったと言う。その後2年して生存者を探して取材し筏の模型を造らせ、病院の近くに居を移して死者の肌の色を研究したという。また友人達も協力して処刑された者の生首や手、足を持ってきたというから今の世では到底許されぬ事をやってまで真に迫力のある絵を描き上げたかったのだろう。


パレットを手にして身を横たえながら制作するジェリコーの銅像が墓石にある。こうなると墓石が高いのか、その銅像の絵が高いのか? ドウかねえ。


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