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詩人のアポリネール(1880〜1916)は パリのペール・ラシェーズにネールよ

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

パリの市内に3カ所の大きな墓地がある。1番大きいのがペール・ラシェーズで2番目がモンパルナス。そしてもう1つがモンマルトルである。1995年と96年の2年続いてパリに飛んでこの3カ所の墓地で墓の写真を撮りまくった。


まず苦労したのが事務所で貰った案内図に記されている埋葬されてる有名人の名前がわからない。つまり英語読みするとジョージがジョルジュ。GEURGESのスペル。CHOPIN(ショピン)はショパンでDELACRIX(デラクリックス)などはドラクロアだと。墓地が広いの何の。ボチボチなんて言ってたらすぐ日が暮れちゃうしね。もし渥美(愛知県)の石屋さんで石仏などの彫刻で高名な鈴木興弓氏が一緒に行ってくれなければ恐らく写真撮りは諦めていただろう。というのはその墓地にある有名人で音楽家や芸術家の事をまるで知らないでほとんどが鈴木センセの解説に負う所が多かったのである。ああ何という無知と自分の心にムチ打っても今さら始まらない。


「あ、これがローランサンの恋人だったギョーム・アポリネールですよ」と指したお墓でボクも記念撮影。お墓を写す業務が今回の旅の目的だから。鈴木センセの解説は実に素晴らしいのです。「彼は私生児として生まれたのですね。イタリアのローマで生まれてその後モナコやニースを移り歩いてパリに来たんですって」。まるでその時に居たように淡々としゃべってくれる。


もとは貴族の血を引くもパリに移った頃は大変貧しい生活をするようになっていたそうな。いろいろ苦労もあったけどピカソや彼をとりまく人たちと知り合い、ヨッシャ俺も男だ国定忠治! と云ったかどうか知らぬが一念発起してお勉強。ついに一流の詩人として名を成した。また評論家としての名声も得た。その上絵画界のプリンセス、マリー・ローランサンと浮名を流すようになったのだからあんたはエラーイ。でも男好きのローランサンは五年の歳月が過ぎたらフリーエージェントに年数が足らないのにサッサと出て行っちゃったのだ。ガックリきたアポリネール。一人で寝るのは寝るんじゃないよ枕かついで横に立つ…という詩を作った。アレこれは都々逸の文句だっけ。そうそう「ミラボーの橋の下をセーヌが流れわれらの恋が流れる…」(そして質グサが流れる…)すぐ余分なチャチを入れるからいい詩も駄目になっちゃうんだよね。バカこの漫才屋! 反省。


この時墓撮りに行ったのは鈴木センセと同じ渥美にある潮音寺のお坊サンも一緒。3日間の墓歩きで苦労をした打上げに有名なムーランルージュへ出かけました。ショーを観ている最中、飲んでたワインのグラスを置いた瞬間バタンと鈴木センセが倒れた。ショーの最中だわ外国だわで大慌て。坊サンの宮本利寛さんがこりゃイカンと持ってたバッグから電子手帳を出して何とかフランス語でSOS。トイレの横で暫く寝かされてる石屋さんにお坊さんが付き添うという変な光景。エッ? お前は何をしてたかって? ボクは芸人ですよ、勿論ショーを観てました。ショーがないですか?


※写真はフランスのペール・ラシェーズ墓地にたつアポリネールのお墓と筆者

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