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ハワイアンミュージックの神様 バッキー白片

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

毎年夏のビアガーデン等で軽快に流れるハワイアンミュージック。実際本場のハワイより日本の方がキチンとした編成で演奏していて、フラダンスにしてもそのチーム数は驚くほどあって、これも本場を凌いでいるとか。ところで日本にハワイアン音楽を広めたのがバッキー白片であった。父の白片民一は1890年(明治25)に一家を連れてホノルルへ移住。そして明治45年(この年7月から大正元年)4月16日バッキーさん(本名=力・つとむ)が誕生したのである。


力少年はマッキンレー高校でドラゴンズオーケストラを結成、ハワイ大学へ進んでからもホノルルシンフォニー・オーケストラに加入するなど根っからの音楽好き。医学部に入ったのに異学部?昭和八年には大学を一年休学してアロハ・ハワイアントリオを結成し、日本へ来て「アフカの滝」「フイ・エ」の二曲をレコーディングした。その後半年ほど国内の演奏活動でギャラもドカーンと入って上機嫌。医学より音楽の方が稼げるぞーとこの頃からバッキーを名乗って飛び回った。しかし一旦帰国して大学を卒業してから再来日したってんだからこれが分からない。昭和12年、日本に帰化し冨美子夫人と結婚して東京に新居を構えた。


昭和14年「竹の橋の下」「フラの天国」を録音、これがヒット 翌年、日本青年館での第1回アロハ・ハワイアンズ発表会が行われた。その時の司会があの太った喜劇俳優の岸井明とは意外でしたね。ある時、ホテルが用意した楽屋の名札に「板金白方」とあった。白方だけでも充分失礼なのに、よりによって板金…自動車の修理じゃねえやネ。バッキーさん達はラジオのディスクジョッキーや映画にも度々登場。あの鶴田浩二、岸恵子主演の「ハワイの夜」で岸が歌ったのは吹き替えで、本当はエセル中田が歌っていた。岸恵子って歌が上手いネ…とウチのおふくろもダマされた1人であった。


エピソードを一つ。バッキーさんの作曲でメンバーの石巻宗一郎が詩を書いた。しかしどうしてもタイトルが決まらない。石巻さんと三島敏夫サンがある喫茶店でコーヒーを飲んでいた。そこに目元涼しく胸豊か、腰がくびれて足すらり…「ウ〜ン、僕ああいう女性に弱いんだ」と、あの名曲は三島さんのつぶやきから生まれたのであります。その三島さん20周年の記念リサイタルではバッキーさんとアロハ・ハワイアンズがゲストに。そして客席の片隅にすこぶるつきの(俺はお前に弱いんだ級の)美女と共に鑑賞していたのが誰あろう、この私でありました。甘美な歌、夢誘うスチールギターの音色、連れの紳士の優雅さに女性はもうしびれまくり、その夜は…この先はとても読者の方にお気の毒で申せませんよ。


ところで麻布六本木に松村歯科医院を営む変な歯のセンセがいる。これが無類の音楽好き。ボクが行くと診療もそこそこにギターを持ち出し、歌いまくり弾きまくり。客も音楽出版関係の人たちが多く、とうとう病嵩じてハワイアンバンドを作ってしまった。メンバーは大作詞家の荒木とよひさ(ウクレレ)、大作曲家の三木たかし(ギター・ヴォーカル)、そしてバンド名がバッフィ松村とアロハ・クリニックス。大橋節夫さんや山口軍一さんまで顔を出すという凄いバンドである。もちろん治療中のBGMもハワイアン。チラッと見ると治療器具を持った右手が横に行ったり来たり、つまりスチールギターを弾いている手つきなのだ。助手の女性はと見ればこれまたフラの腰つきときた。何という医院なのだ。「よし、何か演奏会のある時はオレが行って司会しようか」と言えばくだんのセンセ、「いいのよ、僕は司会もやるから」「えっ司会も?」「そう、だってボクは歯科医(司会)ですよ」。


バッキーさんは1994年9月13日、82歳で逝去。墓は新宿区喜久井町の来迎寺に…アローハ

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