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元杢網(モトのもくあみ) 生まれた元の地にねむる

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

ボクはズーッと以前から狂歌をつくった人達の墓を訪ねてみたいと思っていた。野球狂であり、お墓狂であるボクは狂のつく歌づくりに興味を持った。四方の赤良ともいう太田蜀山人はあまりにも有名である。しかし他の人達はほとんど一般には知られていない。そのペンネームを紹介するだけで楽しくなる江戸末期の狂歌人の墓はどこにあるのだ 。


20世紀も終ろうとしている11月5日、埼玉県の嵐山町へ講演で招かれた。そこに狂歌師の元杢網の墓が在ったから仕事前に写真を撮りに行く。道から少し入った繁みの中の小暗い場所にそれは在った。町で力を入れてもっとアピールしてもらいたい人物であり墓だと、淋しくなったネ。


杢網は本名を鈴木喜三郎といい、この嵐山の杉山というところで生れた。江戸へ出てボクちゃんの才能を生かそうと、ある日ある時故郷を後にした。江戸は狂歌仲間が一杯居る。女房のすめもすめば都と大満足。このカミさんは頭もいい切れ者でありながら狂歌のペンネームは知恵内子といった。


内山賀邸門下の人達が口ききで、狂歌づくりの仲間が集まって楽しい会をつくろう!と、唐衣橘州、大根太木、太田蜀山人、頭光、宿屋飯盛、鹿都部真顔、大家裏住、浜辺黒人、酒上不埒、朱楽菅江、などがワイワイドカドカ集合。菅江のカミさんなんかも節松嫁嫁ってんだから恐れ入る。


このあたり漫才の芸名などと似ている。かつてダットサン・トラックとかサンプク・メチャ子。千太・万吉。てんや・わんやなどといった…。子子孫彦なんて狂歌師も居たらしいが、このあたり「孫」を歌った大泉逸郎のペンネームにピッタリかもネ。酒上不埒は元武士だったというから、酒クセが悪くて上司にからんだか、他人の女房にエッチしてセクハラでしくじったのではなかろうか。宿屋の飯盛はその名の示す如く旅館を経営していたし、元杢網は京橋で風呂屋を営んでいたという。

あな涼し  浮世のあかをぬぎすてて 西に行く身はもとのもくあみ

――は、辞世の歌であるが、さすがお風呂屋さんだけあってあかぬけてるじゃありませんか。


寛政三奇人の一人、林子平は「海国兵談」を自費出版するも幕府から出版禁止の命。「エロ本と違うぞ」と口惜しがった。印刷の板木までとり上げられてしまう。詠んだ歌が――、

親もなし妻なし板木なし  金も無ければ死にたくもなし

狂歌人の墓は新宿区に平秩東作、文宝堂文宝、絵馬屋額祐、紫ちちぶ、福隣堂鈴成、小餘綾磯女。江東区に手柄岡持、大家裏住。台東区に宿屋飯盛。豊島区は俵船積。文京区に鹿都部真顔、太田蜀山人。


彼らが今の狂った世の中を、どう狂歌で表現しようかと泉下で迷って(悩んで)いる事だろう。そこでバタバタ倒産してる大手の保険会社などに狂友うれしが捧げるウタ。

商いは一ツの道に精を出せ   無理にひろげりゃ元の杢網

前半のレースは当って  もうけたが  欲出し倍買い元のモクアミ

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