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学者で歌謡曲の詩を書いた 西条八十

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

今から何十年も前、そう40年近くはなると思う。上野の不忍の池畔に〝唄を忘れたカナリヤは…〟の歌碑が建立され、その記念碑の前で児童合唱団が歌い、作詞者の西条八十氏も列席し一言述べた。司会は若き日の青空うれし。その時カメラを持って行き、そしてサインをおねだりしてたら立派なお宝になっていたかも。西条八十は本名でもあり、ご両親は苦労のないようにと九を抜いた八と十で八十と命名したという。


フランス留学から帰国した八十は詩人として、早稲田大学の教授としてすでに一家を成していた。雑誌に「当世銀座節」という作品を載せたところ、当時売れっ子の作曲家・中山晋平が訪ねて来て、是非あの詩に私の曲をつけさせて欲しいと言われた。その事がキッカケで「唐人お吉」や「東京行進曲」の誕生をみることになった。


この「東京行進曲」にはいろいろエピソードがありましてねぇ…と歌手で作曲家の三鷹淳さん。このヒト、歌のことはもちろん麻雀、ポーカー、野球にゴルフ、世界史に女性史に詳しいという変な親友。


雑誌の「キング」に菊池寛の長編小説「東京行進曲」が連載され、これが日活で映画化されることになり、ビクターが主題歌をつくって歌ったのが日本の流行歌歌手第一号の佐藤千夜子。そしてこれが映画主題歌の第一号でもあった。この歌は四番まであって、一番は

〝昔恋しい銀座の柳 仇な年増を誰が知る ジャズで踊って リキュールで更けて 明けりゃ ダンサーの涙雨〟 

であるが、最初は「明けりゃ彼女の涙雨」だったそうな。それを作曲の中山センセがどうしてもダンサーにしてくれと言うので、折れたらこれが当たった。センセ、ダンサーにハマってたんじゃん?

更に四番の詩の

〝シネマ見ましょか お茶飲みましょか いっそ小田急で逃げましょか〟

の歌詞に小田急電鉄会社からクレームがついた。何だ我社のデンシャは駆け落ちの電車か ところが歌の大ヒットがかえって小田急人気。ズーと後、終戦後になって、「あの節は…」と西条センセ、会社の顧問待遇になりましたとさ。メデタシ、メデタシ。


三鷹さんの奥さんはこれもコロムビアの美人歌手。西条センセの詩、市川昭介センセの作曲で「男って恐いわ」というレコードを出した。病床で亡くなるまでジーと聞いてた西条センセ。この娘は凄く可愛いんだよとセンセのお嬢様におっしゃっていたというが、今やゴルフのアマチュア大会で優勝したり、どこのコンペでも必ず上位。先生が今おられたらきっと「女って恐いね」という詩を書いたかもネ。


「東京行進曲」の原作者・菊池寛センセのラブレターもどきの手紙を貰ったのは二代目のコロムビア・ローズさん。これもお宝。


ところで今年10月26日に三鷹淳さんの歌手生活40周年の記念として軍歌のCDが発売(コロムビア)される。その中にたった一曲ではあるが「ラバウル小唄」を青空うれしさんが歌っているのだ。これは買うべし、求めるべし。お宝鑑定は30年後に…。


西条八十の墓は松戸の新八柱霊園デス。

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