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演技も生き方も破天荒!~スター俳優、勝 新太郎

勝 新太郎
墓所は港区蓮乗寺。田町駅からすぐ。墓石正面に「宝篋印塔」、側面に本名の「奥村」。若山富三郎も同墓に

2012年度の日本映画の興行収入は、過去最高となる1280億円に達した。テレビの登場で一時期は観客動員が激減した映画界だが、今や完全復活を遂げたと言ってよく、鬼籍に入った日本の大スターたちも喜んでいるだろう。

様々な個性派俳優が活躍した昭和の銀幕でも、抜きん出て強い存在感を放っていたのが勝新太郎(本名・奥村利夫)。1931年に東京で生まれ、兄の若山富三郎とは2歳差。当初は長唄を生業にしていたが、日本舞踊家の米国公演に三味線弾きとして参加した際、役者が1等船室で、自分たちが船倉という待遇差に愕然とし、ジェームズ・ディーンの影響もあって役者への転身を決めた。

帰国後、大映に入り『花の白虎隊』で同じ年齢の市川雷蔵とデビュー。しかし、二枚目役ではなかなか人気が出ず、雷蔵は映画1本のギャラが30万円であったのに、勝は3万円だった。芸風を広げる必要性を痛感し、29歳で座頭市の原型『不知火検校』で極悪非道の鍼医者という汚れ役に挑戦。その後、『悪名』『座頭市』『兵隊やくざ』という3本の大ヒット・シリーズで花形スターとなり、雷蔵と共に大映の「2枚看板」となる。後に勝プロをおこし独立。

プライベートでは中村玉緒と結婚し、「中村玉緒は勝新太郎無しでも存在し得るが、勝新太郎は中村玉緒無しでは存在し得ない」と語った。飾り気のない性格で、黒澤監督と大喧嘩して『影武者』の主役を降板したことも。また、某有名寿司店でVIP待遇を受けている際に、一見の客が軽く扱われた様子を見るや否や、「映画はどんなお客さんでも平等に楽しんでもらえるもんです」「あたしだけ特別扱いされては勝新太郎の名に汚れがつく」と100万円ほどの札束を置いて、「もっとうまい寿司をごちそうさせて頂きやす」とその客を連れ出したという。

後年、大麻不法所持で逮捕されたが、公判で「(麻薬は)飛行機の中でもらったもんです」「機内で麻薬を手渡したのは神様かもしれない」と、トボケて検察側を絶句させた。
 
1997年、咽頭癌により他界。享年65。同年は、3月に中村錦之助が、6月に勝が、12月に三船敏郎が他界するという、日本映画界にとって激動の年となった。葬儀は築地本願寺で行われ、1万1,000人もの人々が参列した。

僕が蓮乗寺に初巡礼した時は、道に迷っているうちに日が暮れてしまい、周囲のビルの明かりを頼りに墓を探した。なかなか発見できずに涙目になっていたところ、懐中電灯を持って見回りに来たお寺の人(おそらく住職の奥様と母上)が仰天。

「私ら寺の者でも夜は怖いのに、おたく平気なんですか!?」
「僕は勝新さんのファンで、お墓を探しています」
「だけど暗くて見えないでしょう?」
 
僕は怪しまれてはいけないと焦りまくり、「座頭市さんと同じで、心の目で見ていました」と支離滅裂な返答。お2人がドン引きせずに案内して下さったおかげで、無事に墓前へたどり着けた(有難うございました!)。


勝 新太郎
ライバルだった市川雷蔵は本名の太田名で東京・池上本門寺に眠る。享年37

※『月刊石材』2013年3月号より転載


墓マイラー カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)さん

カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)

1967年生。大阪出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。歴史上の偉人に感謝の言葉を伝えるため、30年にわたって巡礼を敢行。2,520人に墓参し、訪問国は五大陸100ヵ国に及ぶ。
巡礼した全ての墓を掲載したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』
http://kajipon.com) は累計6,500万件のアクセス数。

大阪石材工業 
企画スポンサー:大阪石材工業株式会社

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