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スヌーピーの生みの親チャールズ・シュルツ 〜 パトカーで墓巡礼

チャールズ・シュルツ
初巡礼時の写真。お花がいっぱい。再訪時は周囲にチャーリー・ブラウンなどイラスト入りのベンチがあった

ネットが普及する前、海外の墓巡礼は“聞き込み調査”が基本だった。母国の観光局で情報を収集し、故人ゆかりの記念館(大抵は生家)に足を運び館長に聞いたり、終焉の地で警察署を訪れ手がかりを得ることも。

スヌーピーが活躍する『ピーナッツ』の作者、チャールズ・シュルツさんが2000年2月に他界した際、新聞記事に「サンタローザの自宅で死去」とあった。訃報の5ヵ月後、僕はその情報だけを頼りに渡米し、サンフランシスコからローカル・バスに乗り、約70卷未離汽鵐織蹇璽兇謀着した。

さっそく警察で質問すると、幸運にも担当警官は埋葬された墓地を知っており、コピーした地図に赤丸を入れ渡してくれた。バックパックを署に預け、20分ほど歩いて墓地に到着。約300メートル四方あり、自力で探すのは困難と判断し管理人事務所へ。

扉には「本日不在。用のある方は電話を」の張り紙。周囲に公衆電話なんてない。腹をくくってローラー作戦を開始するも、2時間かかっても一向に見つからない。グッタリしていると、墓地の広場で子ども達がキャッチボールを始めた。彼らいわく「シュルツさんのお墓はこの町だけど違う墓地だよ」。

ドッカーン!

フラフラになって警察署に戻ると、先ほどの警官がいた。名前はケイン。僕が「ユー! ミステーク!」と涙目で訴えると、ケインは調べ直して「悪かった。確かに違う墓地だった」。そして「ちょっと待っとけ」と、署の前にパトカーを横付けし、「送ってやるから乗れ!」。

嬉しかったけど、サンフランシスコに帰るバスの時間まで1時間を切っていた。事情を話すと「問題ない」。回転灯が点滅しサイレンが鳴った!速攻で墓地に着くと、管理人のおじさんが正門で待っていた(署から連絡したようだ)。

パトカーに管理人さんも乗り込み誘導してくれたおかげで、アッという間にシュルツさんの墓前へ。スヌーピーの人形が供えてあった。

「うおお、お会いしたかったです!」

シュルツさんは作品を通して、気楽に生きるための人生哲学、肩をすくめて不運をやり過ごす生き方を教えてくれた。『ピーナッツ』は21ヵ国語に翻訳され、掲載紙は75ヵ国2,600以上、読者数3億5,000万人にのぼる。

帰りもパトカーに乗ったので時間に余裕ができ、車内で「留置場ってどんな場所?」と聞いていたら、署に戻ったケインがニヤリと笑い「スペシャル・ツアーだ」と僕の手を引っ張った。他の警官が驚くなか、留置場を開け「記念写真を撮ってやる」と僕を中に入れ、撮影後に「写真を日本にいるお前の親に送る。保釈金100万ドルを口座に入れるように言え」とジョーク。2人で大笑い。

2009年、僕はレンタカーで約10年ぶりにその警察署を訪れた。ケインはまだそこにいた!「覚えている?」「オフコース! クレイジー・ボーイ!」。“クレイジーはお互いさま”と思いながら握手!

チャールズ・シュルツ
巡礼後のケインとパトカー。まさかこの後、留置場ツアーが待っていたとは(汗)

※『月刊石材』2011年7月号より転載


墓マイラー カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)さん

カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)

1967年生。大阪出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。歴史上の偉人に感謝の言葉を伝えるため、30年にわたって巡礼を敢行。2,520人に墓参し、訪問国は五大陸100ヵ国に及ぶ。
巡礼した全ての墓を掲載したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』
http://kajipon.com) は累計6,500万件のアクセス数。

大阪石材工業 
企画スポンサー:大阪石材工業株式会社

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