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小指の思い出 浪曲の相模太郎師匠(1898~1972)

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

浅草観音堂の裏、つまり言問通りに面した所に5656(ゴロゴロ)会館なる建物がある。雷おこしのビルだからゴロゴロ。そしてこの5階で毎月1日から5日まで寄席を催しているのだが、この席亭を仕切っているのが浪曲漫才で漫才協団常任理事のさがみ三太さん(相棒は良太さん)。今は亡き浪曲華やかなりし頃の人気浪曲家相模太郎は三太さんの師匠。師匠のお墓どこにあるのか知りませんかねと聞いたら、ずいぶん昔に行ったきりで気になっているので一緒に参りましょうとご夫妻で案内してくれた。


渋谷区広尾町にある祐浩寺は大通りにまるでお寺とは想像もつかぬ変わったビルで建っていた。1階には何軒かのテナントも入っているという…名も祐浩寺(ゆうこうじ)だから有効に使ってる訳だ。墓がなかなかわからない。そこでチャイムを鳴らして案内してもらって墓地へ行った。「お久し振りです。お元気ですか」と三太サン。元気な訳ないでしょ、とうの昔に亡くなってるんだから。だから芸人はイヤ!


三太サンが16才の時に弟子入り。ある日チンのピラというやからと大立回り。相手もケガさせたが自分の手もかなり痛めた。警察から連絡あって駆けつけた師匠。ヤレこれで帰れると思ったら「こんな奴2、3日放り込んでおいて下さい」。アリャー何という冷たさ。相模じゃなくて相模湖みたいじゃん。昔は旅から旅のドサまわり。ある時、出演時間が迫って師匠の着替え。オイ足袋よこせと言われてカバンから出すとこれが右と右。「馬鹿。右と右でどうやって履くんだ」。何とかせねばと窮余の一策。指を突っ込んでクルリと中をひっくり返してハイどうぞ。これには太郎師匠も呆れて怒るのも忘れた。とにかく遠くだからわかるまいと舞台へ。演し物はもちろん十八番の灰神楽三太郎。


「毎度皆様お馴染みのあの次郎長に乾分はあるが強いのばっかりゃ揃っちゃいない。中にゃ間抜けな奴もある。ドジで間抜けでデタラメでおまけに寝坊でオッチョコチョイ…」。


まるで自分の事をやられているようで三太サン居たたまれなかったとか。


その三太サンに負けず劣らずドジを踏んだのがこのボクちゃん。小河内村(ダムで水没)に行って小学校の講堂でのお仕事。合間の時間に楽屋でしゃべっていて、地まわりのヤクザもんもこんな辺鄙な土地にゃ居ないよなと相模師匠。イヤこの間旅先で列車に酔っ払いの田舎ヤクザが一人乗ってきましてねとボク。それが前の席に座って、酒ねえかとか少し金寄こせなんて薄いシャツの袖から入れ墨ちらつかせてからむんですよ。ハッと気がついたら網ダナにショーの中で歌手にからむヤクザの役をするので刀(模造刀)が載せてあったのを手にして「手前もこうなりたいか」と左手の小指を折り曲げて見せたら、アッすいません。そういう人たちとは思わなかったのでと慌てて他の車両の方に逃げましてね、次の駅で停車してる時に売店でビール買ってきて窓から差し入れして帰りましたよ。「アハハ、そりゃ面白いね。実は俺も指が無いんだけどね」と手を出された時はサーッと血が引きましたネ。


ちょうど時間となりました、お粗末でした。先ずはこれまで。チョーン!!


〔写真〕東京・渋谷区の祐浩寺にある相模太郎師匠のお墓。その弟子さがみ三太さんと

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