華やかな栄光 そして悲しい別れ 歌手 楠木繁夫・三原純子さん

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

作詞佐藤惣之助、作曲古賀政男で日活映画「緑の地平線」の主題歌を歌ったのが楠木繁夫であった。


  何故か忘れぬ 人故に 涙かくして 踊る夜は
  濡れし瞳に すすり泣く リラの花さえ 懐かしや


楠木の芸名は当時のテイチクの商標が皇居前にある楠木正成の馬に跨った銅像だったので、古賀政男がこれにしようと名付けたものだったとか。

明治37年、四国の土佐に生まれた彼は坂本竜馬を尊敬していたという。そして斗酒尚辞せぬ酒豪であった。ボクは芸能界に入ってすぐ、昭和29年に2日間だけ茨城に旅してご一緒したが、もう声は出ず昔日の面影は無かった。今SPのレコード盤でこの曲を聴いているが実にいい。酒とするめで一杯やりながら。とにかくこの頃の歌手はあまり財テクする人は居なかったように思う。


昭和4年に「白い椿の唄」でデビューして13年の「人生劇場」までの11曲全てが古賀政男の作曲であり、その中での大ヒットが「緑の地平線」(昭和10年)と13年の「人生劇場」である。その後テイチクからビクター、コロムビアへと移り、昭和18年12月8日同じコロムビアの歌手・三原純子と結婚。この日は警戒警報のサイレンが鳴りひびく戦雲急を告げる日で、式に参列したのが作曲家の高木東六、吉田信そして古賀政男の3人だけという寂しさ。


三原純子(1920~1958)には昭和17年に出した「南から南から」という戦中にしてはほのぼのとしたヒット曲がある。同じ17年に「月の小島」という曲を歌っているが、これは「歌う狸御殿」の映画の挿入歌で、美ち奴や伊藤久男らも出ていて、実はボクがお坊っちゃん時代に映画館で観ておりますデス。旅の楽屋で伊藤久男さんにこの時の話をしたことがあって「フーン、楠木さんと一緒に酒飲んだんだけど、俺も強いけどあの人は強い。でもじっくり味わって飲む酒じゃねえんだな。ガバッ、ガバッとね。俺はチョッピリ味わいながらガバッ、ガバッ 」。あまり変わらないよね。


この「狸御殿」では楠木繁夫さんがソロで「どうじゃね元気かね」というのを歌っているが、この方がコミカルで観客ものってウケていた。


戦後混乱の世の中で誰もが生きていくのがやっとだった。かって大ヒットを飛ばした楠木繁夫は深酒がたたってノドをやられてしまった上に思うように仕事も無い。悪いことに妻の三原純子さんが肺病になってしまった。東京での療養はおぼつかなく、郷里の岐阜県高山の方へ引っ込んでしまった。「ハイ、さようなら」なんてシャレの言える状態じゃない。


戦時歌謡として昭和19年5月にコロムビアから出した「轟沈」という映画の主題歌を歌った彼が、自分で轟沈してしまうとは何とも切なく悲しいことである。誰一人相談する相手もないまま酒に溺れての日々であった。


昭和31年の暮れのことである。新宿牛込の楠木家…。愛犬が物置小屋の前で妙に悲しげに声を立てていた。そして中では梁に渡した縄で首を吊っている楠木さんの無惨な姿があった。


〔写真〕岐阜・高山の法華寺にあるお墓におふたりは眠る