本物の大女優 サラ・ベルナール(1844~1923)

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

ターザンの映画を観た時、あんな生活してみたいなと少年時代に思ったのは、木の上の小屋である。そこまでいかなくても木と木に結びつけてゆらりとゆれるハンモックに横たわって本など読んでる女…映画の一シーンに憧れたものである。だがここに紹介するフランスの大女優だったサラ・ベルナールは何と棺の中でスヤスヤと寝ていたというからこれが驚かないでいられようか。16才頃から彼女は純白のリンスを張ったお棺の中に入って眠ったのである。ちょっと汚れて色が変わると又張り替えて。何処へ引越しても必ず棺を運んだというから黒猫ヤマトも引越しのサカイも気味悪がるよね。


サラは1844年にパリで生まれた。母はドイツ人のお針子で平凡な生活をしてたが、男に騙されてパリへ連れてこられて棄てられてしまった。その後すぐベルナールというフランスの学生といい仲になってサラを産んだ。しかし相手はエエとこのボンボン。身分が違いすぎると親が許さない。困った母はサラを里子に出してしまう。15才まで修道院で生活をしたのである。


ある日サラはコメディフランセーズへお芝居を観に行き、すっかり舞台に魅せられてしまう。私が求めているものがここにあったんだわ。と彼女は国立演劇院に入った。サラが他の劇団員と大きな差をつけたのはその声であった。一度彼女の声を聞いたら誰もが感動した。その声の美しさはたちまち評判になりアッという間にスター。有名な銀行家や大会社の社長、著名な作家、高名な詩人達、ミューシャ、プルースト、ワイルド…みんな彼女のとりこになってしまった。


コメディフランセーズを抜けて自分の劇団をつくり、イタリアやアメリカにも公演に出かけたが、何処へ行っても大入り満員。ミュッセの「ロレザッチョ」などの男役もこなして大向こうをうならせた。国王や皇帝さえも彼女にひざまずいたというからその人気ぶりは想像もつかない。豪奢な生活も彼女には当り前に似合った。一度結婚もしたが夫には先立たれている。声がよくその上容姿がよく、その瞳でジッと見られたらゾクゾクっとして3日間ふるえが止まらなかったという。だからスキャンダラスなお話も後を絶たなかったが彼女なら何でも許したくなったというからいかに人気があったかわかる。


1905年、南米へ公演に。そしてリオ・デ・ジャネイロで「ラ・トスカ」を上演中に怪我をして、この怪我がもとで1915年に右脚を切断する事になる。だがサラはサラなる飛躍をと立ち上がるのだ。アメリカへ行ったりロンドンで公演したり、ブリュッセル、オランダと巡業しフランスへ戻って1923年に映画「女占い師」の撮影中に倒れ、この年4月死去。


墓はペール・ラシェーズにあって年配の方が「この人は大女優だったな…」という口の動きをしてた。そう思えたのだ、何しろ仏語ときたらムッシュとボンソワールにボンジュールしか知らないもの。あ、もうひとつ、フランスパン!!