ニャンとも真面目芸人だった 江戸家猫八 師匠

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

2001(平成13)年12月10日、物真似で売った江戸家猫八さんが逝った。1955年から始まったNHKテレビの「お笑い三人組」で一龍斉貞鳳、三遊亭金馬とのトリオで一躍人気者になった。芝居の方は元々古川ロッパ一座で役者をやってたのだから上手い。だから晩年あの「鬼平犯科帳」での彦十役を見て、猫八って案外演技力あるよな、なんて言ってた奴がいたが当たり前だよ。ジャズ歌手でやはりドラマで活躍している尾藤イサオが、テレビのかくし芸で曲芸をやった時も知らない人は上手いなと感心してたが、少年時代は曲芸をやってたんだからこれも当たり前。


ところで猫八さん所は、息子の小猫さんとその妹のまねき猫が父の後を継いで寄席の舞台を続けるが、この父子のユニークな夫婦関係は芸人の我々も脱帽。親猫さんの奥さんが入院中親切に面倒を見てくれた看護婦さんに、私が死んだらこの人と結婚して後の面倒を見てくださいと頼み、その通りに……。そして息子の小猫がその看護婦さんの妹を嫁にしたってんだから世間はビックリ。


物真似も父子ソックリなら、嫁さんも父子でソックリなんて面白いやね。


1921(大正10)年に東京で生れた猫八さんの本名は岡田六郎。初代猫八の六男に生れたから六郎。こんなわかり易い名前は無い。この本名で古川ロッパ一座で役者をしてたが巡業先の広島であの原爆にやられた。だから被爆者の手帳を持っていて、春日三球さんに「どうだい、こんな手帳を持っているのは珍しいだろう。欲しけりゃ売ってやろうか」。云われた三球さん「ウチの親父の位牌と交換しましょうか」。イヤイヤ、芸人の会話は凄いですよ。


永年寄席で共演されている三笑亭笑三師匠は「普段はごく真面目な人でね、楽屋の評判もお客様の評判も良くて不思議なヒトでした」。アララそれじゃ不真面目な奴が芸人に向くのかなと思った瞬間、「うれしさんなんか芸人向きですよ」。ソレどういう意味?


笑三師匠から伺った猫八像。いつも周囲の人達に気を遣いリラックスさせていたそうな。あの伊丹十三監督のヒット作「お葬式」での演技は高く評価され、日本アカデミー助演男優賞! 撮影中スタッフを沸かせたエピソードで、「お坊さんのお礼はいか程で?」「何万だァ、ナンマンダー」。「明日お経をあげちゃダメだよ」「ハァ」「今日(経)読むってんだから」「アー成る程」。てな具合だったとか。


そして猫八家は日本橋の一等地にあったものの、間口一間半(約3m)に家を建てたが一階はガレージ、二階三階も狭く細長くウナギの寝床。階段も細くて大変。「じゃあ上り下りにも歩くにも気をつかいますね」と云ったら笑三師匠、「何の心配もいりませんよ。スイスイのヒラリヒラリですよ。何しろあんた、ネコですから」。アラララ……こりゃ話す相手が悪いや。


ウチに先代猫八サンのSPレコードがある。それを久々にまわしながらご冥福を祈ろう。墓は先代と一緒に、東京の雑司ヶ谷墓地にあるニャーン。