「長谷川平蔵」である  鬼より恐い鬼平さん

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

少年時代に「真田十勇士」や「後藤又兵衛」「鞍馬天狗」の漫画や小説に夢中になったボクは、長じて太宰治の「斜陽」や「人間失格」を読み、島崎藤村の「夜明け前」や志賀直哉の「暗夜行路」。井上靖の「蒼き狼」、菊池寛の「無名作家の日記」などの純文学から松本清張の「ゼロの焦点」などの推理小説を経て、結局は池波正太郎のチョン曲げに戻ってしまう。「必殺仕掛人」や「剣客商売」を読んでコーフン。「人斬り半次郎」(箱根八里のじゃないよ )「幕末新撰組」にメロメロ。しかし何たって一番お気に入りはあの「鬼平犯科帳」だね。悪人共の所へ颯爽と乗り込んで「火付け盗賊改め長谷川平蔵である。神妙にいたせ 」。カッコ良すぎるってコノー。


長谷川平蔵宣以は延享3(1746)年、江戸は赤坂で生まれ、5才の時に鉄砲洲の築地湊町へ移った。とても少年とは思えぬ度胸と才智の持ち主で、町内のバクチ打ちのさがみの三太とその乾分なべの五郎八を相手に大立ちまわりをし、遂には謝罪文をとったってんだから正に ” 栴檀は双葉より芳し である。

明和元年、平蔵19才の時本所三ツ目通りの菊川町にまたまたお引っ越し。引っ越しのサカイに頼んだらしいよ。この屋敷が1200坪の広さで鬼平の役宅となった。世に捕り物の名人として名をなしたが何といっても石川島の人足寄場を成功させた事が大きな評価を得たのである。


「長谷川平蔵、鬼より恐い」と悪党らに恐れられてはいたが、反面庶民の暮らしの中に溶け込んで困っている者に手をさしのべ、一般庶民には「仏の平蔵」とウケが良かったそうな。中村吉右衛門のような美男だったかどうかは分からないけど、実際吉右衛門さんがあの重厚なフンイキでやってくれちゃうとボクら納得しちゃうから凄いね。


この平蔵さんの墓碑は新宿区須賀町のお岩稲荷からほど遠からぬ西光寺にあって、この寺では毎年6月26日前後の日曜日に法要を催しているので鬼平ファンの方は是非参加してみては如何?行くついでにこの辺も知名人のお墓が沢山あるのでこれものぞいてみて欲しい。顕性寺に落語家の古今亭今輔。宗福寺に四谷正宗と言われた名人刀匠の源清麿と水心子正秀。刀と言えば首斬りの6代目山田浅右衛門が勝興寺に。西応寺には幕末最後の剣客榊原健吉と初代花柳寿美。そしてどういう訳か狂歌師が多く、蓮乗院の筧亭文平。法恩寺は絵馬屋額祐。永心寺に小餘綾磯女などがあり、ついでにお岩様を祀ったお岩稲荷にも寄ってみたら。この裏の方でメシを食ったけど850円の玉子丼のまずいの何の。これが本当のウラメシヤー。


ところで鬼平さんの名を世に広めた池波正太郎センセのお墓は台東区の西浅草、西光寺にある。ついた師が長谷川伸で書いてもらったのが長谷川平蔵。吉右衛門サンもよかったが、早く長谷川一夫さんにもさせたかったネ。