希代の悪坊主 河内山 宗俊

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

東京の青山通り…絶え間なく車が走り足早に人々が行く。そのメインストリートから一歩裏へ入るといきなり人影が薄くなる。そんな一角にある高徳寺の一隅に悪坊主として名高い河内山宗俊(または宗春)が眠っている。


「天保六花撰」という講談を演じていた二世松林伯円のものから河竹黙阿弥が脚色し、一八八一年(明治十四年)三月に新富座で上演して話題になった。これが歌舞伎になるとタイトルも「天衣紛上野初花=くもにまごううえののはつはな」(通称「河内山」)とくるからグッと重みを増すし、配役が凄いね。河内山を九世・市川団十郎、直侍を五世・尾上菊五郎、三千歳が八世・岩井半四郎というスター。


さて、宗俊は幼名を藤太郎といい父親はご本丸奥坊主を勤める河内山宗順。この宗順は人間的にも立派だったがその持っている一物もリッパ。ところがこの親父より凄かったのが宗俊。道端で立ち小便をしていたら通りかかった馬が下を向いて恥ずかしそうに通ったとか。


その宗俊が十八才の時、ある一軒の家からキャー助けてーという絹をさくような若い女の悲鳴。宗俊飛び込んでみると侍が今まさに女を犯そうという寸前。襟首つかんでドーンと投げ飛ばした。侍は慌てて褌を置いたままフリチンで逃げてゆく。女はお雪といって評判の美人。それが巨乳を出し関門海峡丸出しだから宗俊クラクラときた。お雪も助けてくれた恩と目の前に突き出た巨砲にこれまたクラクラでそれを受け入れてしまう。宗俊は早春となってウハウハ。


ところが女が尻軽でご家人片岡直右衛門の倅の直次郎(直侍)とも出来てしまう。間もなく宗俊の知るところとなるが、これがおかしなものでお互いに意気投合。貴様と俺とは同器のサクラ…とお雪を捨てて同盟を結んだ。二人が組んでゆすりたかりの数々。


ある日、直次郎は吉原の大口楼の花魁三千歳といい仲になり遂に掟を犯してまで連れて逃げ、宗俊のところへ転がり込んだ。宗俊は大口楼が役人に訴えていたのを、今清盛といわれ権勢を誇っていた中野碩翁に可愛がって貰っていたのを利用して、逆におどして役人をへこまし大口楼からゼニをせしめる始末。


そのうち上野池之端の上州屋の娘おなみが、麹町の松平出羽守のところへ奉公に上がったが、妾になれと無理難題をいわれ困ってるというのを聞きつけた。そこで上野の宮の贋使僧となって直次郎を供に乗り込んだ。そして「ご門主の碁のお相手をする者の娘が当屋敷でムリに側室にされそうとか。もしご門主が知ったら十八萬六千石はどうなりますかな」と凄んだ。すると雲州候慌てて、女は返しますと小判をワンサとつけて謝った。意気高々引揚げるところを玄関先で北村大膳に、見覚えのあるその高頬のホクロ と見破られるが、ハナの先で笑って「俺がこの話ブチまけりゃ松江候もお前らもフッ飛ぶぜ」と脅した。


しかしその後、水戸家の会計係大久保今助に美人局をやり脅して二百両をせしめたのが最後で召し捕られ、牢内で毒を盛られて死んだ。死体を埋めたところから一本の大きなキノコが生えた。もちろん毒キノコだったそうな。