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『月刊石材』ワンクリックアンケートNo.5(2016年6月)結果発表!

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当社メールマガジン「いしぶみ」の読者の皆様を対象に、今年から毎月1回、【ワンクリックアンケート】と題して、ご質問させていただく企画をスタートしました。2016年6月の質問は下記のとおりです。

Q、「お客様の先祖祭祀に対する意識」はどうなっていますか?

2016年6月1日〜5日まで
(カッコ内は、6月3日午前9時の中間発表の数字)

ワンクリックアンケート2016年6月結果発表

【高まっている】5.3%
【低くなっている】63.2%、
【これまでとかわらない】21.1%、
【わからない】7.9%、
【その他】2.6%

 石文社ではこのたび長澤宏昌著『今、先祖観を問う 埋葬の歴史と現代社会』を発刊いたしました。著者は、第3章・現代社会の実態「11 終活と墓じまい」のなかで、次のように述べています(218頁)。

 墓は命の継承の歴史的証でもあるのだが、これまでの継承の重さをどう考えるのだろう。もしこれ(墓じまい)が、単に金の問題で行なわれたとしたら、あるいは社会がそういう流れだから時流に乗ってこれまでの縁を切ってもいいのだという短絡的な発想のもとに行なわれるとしたら、日本人はやがて世界的に見ても前例のない「先祖観を失った民族」になってしまう。想像しただけでも、本当に恐ろしい。

 著者は「墓じまい」について、「少子高齢化に起因している。これには墓参と継承という二つの理由がある。(中略)いずれにしても墓を『ほったらかし』にしておきたくないという意思が墓じまいを決意させるのだろう」と、その必要性は理解されています。
 ただし、「墓は無用だという発想もあるのである。(中略)墓じまいを行なう当主のもともとの考え方なのか、マスコミ等からの影響なのかわからないが、いずれにしても先祖との繋がりを断ち切る行為である」と述べています。
 先祖祭祀は家族の行為であり、その家族の在り方が変化している結果の「先祖祭祀に対する意識の低下」といえるかもしれません。しかし墓石業界は、墓づくりをとおして、「墓は命の継承の歴史的証」であり、先祖祭祀の意味を伝えていく使命があるはずです。

Q、「お客様の先祖祭祀に対する意識」について、ご自由にお書きください(一部省略)

【高まっている】
◆だからと言って、お墓が求められている訳ではないと思える。どのように祀るかは多様化している。

【低くなっている】
◆先祖祭祀というと、仏壇やお葬式、お彼岸とお盆のお墓参り、法事などがあるが、家族内でも事務的な連絡や単なる年中行事に終始し、その目的や弔う意識は希薄化、形骸化しているように思われる。特に子ども目線で考えると、死を身近に感じる機会が減っているのではないか。その意味でも、子どものころからペットを飼うなど、命の重みや尊さに触れることは大切なことだと思う。
◆会ったことのある顔見知りの親戚や先祖を想う気持ちは、これからも変わらないと思う。会ったこともない、顔も知らないくらい前の世代のことになると、気持ちや意識は低くなってしまうように思う。そのこと自体を知っている人たちも徐々に少なくなり、話を聞く機会すら減っていることも原因かと(地域のお祭りなども、その意味合いや起源を知る機会、語れる機会も減っている?)。お墓には、生活の中で遠い前の世代のことも想像させてくれる役割があると思うのですが、亡くなる人よりもお墓を守る人(世代)がこれから少なくなっていく背景があって、さらに接点が薄れていくタイミングと、親戚からのお墓相談のタイミングが合えば、もしかしたら「『墓じまい』するか?」といった話題は今後出てきやすくなってくるかと思う。
◆信仰心、教育の低下、社会情勢の変化、価値観の変化など、日本人の心の貧しさ故に先祖崇拝が疎かになってきた。
◆子、孫と同居していないことが意識低下の原因と思う。
◆とりあえず低予算で、他の家族同様に納骨出来る最善策を探されている場合が増えています。先祖祭祀という、観念はほとんどありません。
◆最近の傾向として、その意識は低くなっていると思う。建墓に携わってきた今までの経験からそのように評価します。葬送の多様化。建墓の多様化等が進む中で、日本人が先祖に対する敬虔な思いは基本的にあると思いますが、現実には省力化、簡素化に向かっています。現実に生きることに重きを置き、供養にはお金をかけないというところでしょうか。
◆以前までの先祖祭祀の範囲は、低く(薄く)なっているというよりは狭く、本当に身近な方に対する祭祀にとどまっている様に感じます。生活環境の変化に伴う変化としか考えられませんが。
◆地域差はあるのかもしれないが、核家族化によって親戚付合いが希薄になっているように感じられる。都市部で顕著にみられる近所付合いの煩わしさなど「他者への干渉を好まない」イコール「自分にも干渉してほしくない」といった傾向があるのではないだろうか。日々の生活に追われ、忙しい毎日を過ごす現代人にとっては、会ったこともない「先祖に対しての思い」など皆無の方も少なからず居られると考えられる。
◆墓碑建立の増減は時代の流れで避けられない。根本的には科学の進歩によって、神仏の教えの虚偽が暴露され、宗教心そのものが薄れた。
◆直近の先祖(両親・祖父母)までは、変わらないと感じます。それ以上については、お施主様が知らない仏様になるので一人ひとりの供養はあまり行われません。ただ、お盆やお彼岸参りとしてお墓にいらっしゃいます。仏教と祖霊信仰はまた少し意味が違っていて、お寺さんは「ご本尊」が大事で、仏はご本尊に導かれているとお話されることが多いようです。祖霊信仰はどうして自分が今存在するのかということにたどり着きます。お墓は両方の考えが融合していると思います。お寺や業者の一方的な説ではなく、お客様が仏様やもちろん神道の神様ほか宗教の主となる主旨とご自分の先祖に対する思いをお墓という形に満足していただけるようお手伝いしたいと思います。お客様がスッキリしていただけないなら業者として失格と思います。小さいころからお墓参りや檀家参りの楽しい記憶がある方は、大人になっても先祖やお墓を大事になさいます。家族の在り方も大きな問題ですね。

【これまでとかわらない】
◆しかしながら、継承問題などで、私たちのような地方でも、墓じまいが加速しているように思われます。本当はお墓を持ちたい人は多いのですが、諸般の事情等で、深刻な問題であると認識しています。
◆家庭での教育が、世代を越えてその家の祭祀全般に反映されつつある。
◆正直に申し上げれば、自分自身の意識が、正しいのか間違っているのか、わかりません。自分も含め、生きている全ての人に言えるのは、先祖の縁がなければ、今の自分はないということです。しかし、最近の傾向で、親が子供に伝えきれていないのではと、私は感じています。私自身も伝えられているか疑問で不安です。親は「子供に迷惑を掛けたくない」と言って、老後の居場所からお墓まで自分たちで決めて、事後承諾のように、「ここに決めたから」と伝えて終わりという事態も多いのではないでしょうか。自分たちで決めてしまうのではなく、もっと、子供に相談する環境をつくる努力が必要なのではないでしょうか。その環境が希薄になっているから、先祖を思う心も薄っぺらなものになってきているのではないでしょうか。間違っているかどうかわかりません。その努力が足りていないと私自身反省の思いです。
◆身近な人が亡くなったとき、もしくは逆縁により若い人が亡くなったときに先祖への思いは強まると考察します。医療の発達で明治以降、乳幼児の生存率の上昇、また高齢化が進んだとはいえ、先祖への思いはこれまでと変わらず根強いものであると感じますが、口伝えの家庭での「思いの継承」が薄らいでいるだけではないでしょうか。

※アンケートにご協力をいただきました皆様、誠にありがとうございました。

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