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三遊派の大名人  円朝師匠

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

山岡鉄舟と同じ墓地(台東区の全生庵)に名人三遊亭円朝(1839~1900)が眠っている。先日、昔々亭桃太郎さんに会った時、落語家は頭が良いんですよ、頭が悪けりゃ落伍者なんですから……と面白い事を言ってた。なるほどこの円朝さんもズバ抜けて頭が良かったようだ。
 
  「エー毎度馬鹿々々しいお笑いで……」。
 
ただ客を笑わせるばかりが落語ではない。シットリとジックリと聞かせる人情噺もある。円朝は人情噺や怪談でつとに有名なのだ。

本名を出淵次郎吉といって、お蔦、主税の物語りでお馴染の湯島切通しで産声をあげた。
 
オジイちゃんは立派な武士だったのに、オ父っあんはオラこんな生活ヤだと刀を捨てて何と、ハナシ家の二世円生の弟子になっちゃたってんだから当時としてはケタ外れた奇談。何しろ刃物は庖丁見ても青くなったというから、とてもオサムライさんにはなれない。この親にしてこの子有り。次郎吉もオイラも噺家になって若いギャルにモテたいッ と同じ門下に入って小円太という芸名を貰った。次郎吉なんて名は、所詮ねずみ小僧次郎吉にかないっこない。芸人になって大正解。高座でシャべるとこれが中々センスがいい。これが親父より上手いのだ。
 
17才の時真打ちとなって円朝と改めた。この世界、今も昔も変らない。ヒトより目立たなけりゃ売れっこないと、顔に薄化粧をほどこし、ド派手な衣装をまとって高座に現われた。果してギャルはキャー円ちゃんとまるでキムタクですよ。

しかし今時の一寸TVでリポーターしたり、本業と別の事で売れて本来の落語をダメにしてしまう落語家とは訳が違う。面白いとか格好いいとかだけでは永世に名を残す事は出来ないと、話術に磨きをかけ芝居噺に力を入れた。

その時に人気役者の声色も使って話したというから落語と声帯模写を一人二役でこなしたのだ。
 また、ここぞという話の盛り上がりでサッと幕を下ろすとバックに今話している背景が描かれているという新しい演出に人々はビックリ。

創作力もすぐれていて外国の翻案物も手がけ人々に拍手で迎えられた。サルドウの「トスカ」に基づく「名人競」。また、中国の「牡丹灯記」は当りに当った。
他にも自作の名作「真景累ガ淵」、「荻江の一節」、「塩原太助」、「怪談乳房榎」、「鶴殺し嫉妬庖丁」などがある。
現在落語界は芸術協会と落語協会が新宿の末広亭や上野の鈴本で公演をしているが、三遊派は喧嘩別れして常席を追われ、円楽が柱となって独自の公演をしているし、立川派も談志が立川流を名乗って別行動。

「エー馬鹿々々しいお笑いを」なんて言っている場合じゃない。バカバカしい喧嘩をやめて本物の笑いを追求したらどうかね。韓国と北朝鮮だって積年の恨みつらみを捨てて歩みよったんだぜ。

噺家さんたちが皆で1889(明治22)年3月、三遊派繁栄の記念と初世円生の追善顕彰の三遊塚を建立しているのに。

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