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仏の女流画家(1885~1956)マリー・ローランサンさん

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

柳家小さんさん。ローランサンさん。どうも下にサンがつくとこうなるネ。


パリ生まれだがその出生にはさまざまな説があるとか。この辺からして謎めいているからいい。大体ボクは謎めいた女が好きだ。いい女だがあれは人妻か? いや囲われモノか? 案外風俗嬢だったりして…なんて想像の世界にいるのが好きなオジさんなのだ。


1983年の7月。マリー・ローランサン生誕100年の年に長野県蓼科高原のアートランドホテル蓼科の一角にローランサン美術館が建てられた。小淵沢でペンションを経営する、かつてコロムビアトップ門下で漫才をしていた後輩田畑廣氏から電話が入った。「モシモシ、タバタ(田畑)です。日暮里じゃありません」。この辺が何年たっても昔の芸人が抜けないのですな。しかし現在は大したものでステンドグラス工芸では第一人者で大勢のお弟子さんを抱えるセンセ様である。毎年各地のデパートでその個展を開くが、殊に名古屋の三越での展示会はレギュラーで、あの大打者イチローも必ず(オフの時期なので)顔を出して、その作品を買ってくれるお得意サマなのである。もっともイチローからサインを貰って得意になってる方でもあるが。


その田畑氏から誘われてこの美術館に出かけた。ここには初期から晩年までの作品、デッサンから版画、水彩、油彩などなど世界のどこよりもローランサンのモノで一杯。何でローランサンのモノが多いか知ってますか? 実はここにはローランサンのモノしかないのですよ。ピカソだのブラックといった画家や、詩人アポリネール達と華やかな交流のあった彼女。もっともアポリネールとは夜もネールという仲になっちゃったけどね。5年間の熱愛の末に「サヨウナラ左様奈良、元気でいてネ…」と都はるみの歌じゃないけど別れてしまった。その後ドイツ人の男爵様と結婚あそばしちゃってスペインへ亡命したりして…謎ですね女は。


しかしアポリネールのような名声の高い詩人から次々と芸術家達を紹介されたお蔭で彼女は大きく成長出来たのだから、いい人とのめぐり合わせがないと人間1人ではどの世界でも伸びませんよ。ピカソやルソー、ジャン・コクトーらの力添えもあってローランサンはサンサンと輝いた。モンマルトルの一隅に一名「洗濯船」と呼ばれたボロの木造長屋があって、1904年にピカソが住むようになって恋人のオリビエも移ってきた。モディリアーニ、ブラック、ルソーそしてアポリネールと恋人のローランサン達もここに出入りして芸術を語り夜の更けるのも忘れて過ごしたという。床はギシギシときしみ、まるでセーヌ川沿いの洗濯船のような感じからその名が付けられたらしい。残念な事に保存しようとした矢先に火事で焼けてしまったために今はもうその面影も残っていないとか。


さて、ローランサン美術館で至福の時を過ごした田畑氏とボクは甲府のイタリアンレストランに入って食事。この店の名が何と「ローラン」。こうなりゃ食べるのはスパゲティアポリタン。ちょうどTVで中日~巨人戦終了。中日の川上投手ノーヒット・ローラン!!


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