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ウン千万円?の画伯の絵が……東郷青児

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

東京の豊島区にある雑司が谷霊園には数多くの著名人が眠っている。東条英機、小泉八雲、武久夢二、夏目漱石、泉鏡花や歌舞伎の尾上梅幸、市村羽左衛門といった方々がズラーリ。その中に画家の東郷青児の墓もある。


青山学院を出て二科展に出品。第3回の二科賞を受賞し、その後フランスに留学する。そして昭和3年ヨーロッパの作を発表(二科展)。昭和洋画奨励賞を受け会員に推された。このヒトの絵、美術名鑑で調べたら号280万円でありまして、実はこの方の絵を、しかも10号のモノをタダで手中にした幸運なヒトがいるってんだから口惜しいネ。その人の名はコロムビア・トップ、つまりこのうれしの師匠でありまして…。


大体この日本国では美空ひばり、雪村いづみ、江利ちえみの三人娘から始まって、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家、そして郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹の新御三家などと命名するのが好きなのである。あのコロッケは旧御三家は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だとネタで使って笑わせている。


かつて昭和30年代の初めに、親の七光り3人娘が歌謡界にデビューした。美人画を描いて第1人者の伊東深水の娘で朝丘雪路。新派の大女優水谷八重子の娘が良重。そして画家東郷青児の娘たまみ。話題としてはもう充分過ぎた。


あれは多分、千駄ヶ谷体育館で特設ステージを組んでの歌謡ショーの時だったと思うが、東郷たまみが歌い終ってステージ横の階段を下りようとして足を踏み外し、ドドーッと落ちてしまったのである。この時、折りよくというか悪運強くというか、階段の下に立っていたのがトップお父っあん。両手を広げてたまみサンを受けとめたのだ。幸い足にホンのカスリ傷で事なきを得たのです。


それから1ヵ月ほどして丁寧なお礼の手紙を添えて、何と東郷画伯の作品、それも10号の秀作が贈られてきたのです。イヤ喜ぶまいことか、当時何人もいた弟子の中に、東児と南児・北児というのがいて「ナア、東児だとか南児・北児なんてのはヒヤーもゼニにならんが、青児とくりゃ何百万だ、凄いなァ」「オイ、これからは水谷良重と朝丘雪路のステージにへばりつけ。階段の下でまってりゃ、またチャンスがくるかも知れんぞ」。弟子のAが「待ってて何か得するんですか?」といえば「バカ、雪路が落っこちてみろ、それを助けりゃ伊東深水の絵が貰えるじゃねえか」。弟子のBが「じゃ良重だったら何が貰えるんですか?」「そりゃ新派のチケットかなァ」。何ともしまらないハナシですね。


東郷サンといえば、ドイツ大使になって、東条内閣と鈴木内閣で外相を務めた東郷茂徳や、あの日露戦で連合艦隊総指令長官として指揮をとった東郷平八郎も青児サンと同様に鹿児島出身。ボクの友人の東郷クンは青森なので先日聞いたら、やはり父は鹿児島で事業に失敗して青森へ逃げたんだと。それじゃ東郷サンじゃなくて、逃亡サンじゃないの。

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