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八代目三笑亭可楽サンは酒と女と暇が好き


青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

昭和39(1964)年はいい噺家サンが次々に逝ってしまった。3月31日に三遊亭百生サンが68才で亡くなると、8代目三笑亭可楽サンが67才で逝き、2日おいた25日には二代目三遊亭円歌サンが死亡。そして11月8日には三代目三遊亭金馬サン……。


可楽師匠が一時協会との折り合いが悪く、暫く高座に出なかった頃があった。湯が原温泉でボクの妹(腹違い)が芸者の置屋をしていた時に、この可楽師がウチにズッと居ついていた。モチのロン女性が出来ての事でありますよ。チビリ、チビリと酒をやりながら、おっとりとした口調でヒマってのがいいね、好きだねと昔の話をしてくれたが、メモをしておけばそれこそ「お宝」になる話が一パイあったのだ。惜しい事をしたとつくづく後悔。「師匠、らくだを聞かせてくださいよ」。「らくだ?あれは高い噺だから駄目」。「味噌倉」か「笠碁」をやってほしいな。酒が程よくまわってご機嫌になると……


――ここに居る奴もヒトの噺をタダで聞こうてえケチな料簡の者ばかりだが……世の中には出すのは舌を出すのもイヤで、貰えるものはヒトのオナラでも頂くなんてケチな奴が居たりしましてな。

「今ここへ釘を打とうと思うんだがな。定、お向かいの家へ行って金づちを借りておいで。どうした借りてきたかい」

「いいえ。お向かいが言うには、金の釘を打つのか竹の釘を打つのかと申しますので、金の釘ですと言いましたら、金と金だと減るから貸せないと断られました」
 
「何てケチな野郎だ。借りなくていい、ウチのを使いな」――


可楽師段々乗ってきて、たっぷり40分もの熱演。イヤハヤぜい沢な事でした。


寄席文学の名人橘右近サンが可楽師匠の病気見舞いに行くと、

「ネエ右近サン、起きて歩けるようになったら、これまでに世話になったタレ(女性の意)の墓を訪ねて線香の一本もあげてまわりたいんだがね」

言ってみたいねこんなセリフ。モテた男のセリフだよ。若い時分苦労している時は小唄の師匠が面倒を見てくれたという。その後お茶子サンに手をつけ、義太夫の師匠と出来、他人の女房や未亡人……。そりゃルーズソックスの女子高生の援助交際のない時代にしてはド派手なウハウハ人生だったのでは?


この親にして……という言葉があるがお弟子サンの夢楽サンが師匠の上をゆく遊び人。何しろ家へ帰らず女の所を転々。楽屋へ弟子が下着等の着替えを持ってくる。洗濯物を抱えて弟子はカミさんに届ける。今日の泊りも言わず家の事も聞かず。久しぶりに世田谷の家に帰ってみたら、鍵は閉まってる表札は変わってる。近所のオバさんが「アラ夢楽さんのお宅とっくに引っ越しましたよ」。


女好きと酒好き、男であれば当たり前。だがなかなか大っぴらに出来ぬのが一般人。芸人なればこその自由気まま。そんな世界も段々狭まって、今じゃカミさん上位の芸能界。アー昔の芸人は良かったなあと言えば、昔の芸人サンて車のローンもなければビデオカメラ買ったり外国旅行したりしなかったってね、とのたまう謎の同居人。


可楽サンは台東区の興禅寺でヒマがあったらおいでと、タレの墓参りを待っている。


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