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日本一高名な有名人 きんさんデス

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

誰もが金や銀を欲しいと思うし、スポーツの世界だって金メダルや銀メダルを獲るためにしのぎを削る。しかし名前が「きん」と「ぎん」で、しかも双子でその上100歳となりゃ、これは凄い。

「きんは100しゃあ」「ぎんも100しゃあ」というユーモラスな名古屋弁で一躍日本中の人々に親しまれたのが、成田きんさんと蟹江ぎんさんだった。そこで今回はきんさんのお墓をご紹介しておく。名鉄「笠寺」駅近く、名古屋市南区の「東宝寺」にお墓を訪ねると、門の前で工事をしていた人たちが「エッ、あのきんさんのお墓がここに在るんですか、オイ、俺たちも見よう」と五人さんがついて来た。


1892年(明治25)8月1日、名古屋市緑区に生まれたきんさん。その107歳の生涯は波乱の歴史の中で明治、大正、昭和、平成の四世代を生きてきたのである。


1900年(明治33)、尋常小学校に入学した時にパリで万国博覧会が開催され、1910年(明治43)、成田良吉さんと見合い結婚した年にハレー彗星が大接近。1912年(明治45)、成人の年に明治天皇が逝去され、そしてあのタイタニック号の沈没した年でもあった。さらに1942年(昭和17)、きんさん50歳の時ミッドウェー海戦、そして本土初の空襲があり、あの100歳ツインズとして国民的人気となったのが1991年(平成3)のことだった。


「きんさん、ぎんさん、健康の秘訣は何ですか?」とリポーターがマイクを向けるときんさん「お茶でしょうね。お茶が大好きでいつも飲んでいるからです」「ア、そうですか。お茶というとウーロン茶もそうですが、日本にはたくさんのお茶がありますよね」「そうですね。私の好きなお茶は加藤茶です」「アララララ……」。底抜けに明るい、本当に周囲の人達に勇気を与える存在であったし、日本中の人達から愛されたきんさんは2000年という区切りの、平成12年1月23日に長寿の素晴らしさの余韻を残しながら静かに旅立った。葬儀委員長を元首相の海部俊樹さん。知事や市長ら多くの名士が告別式に顔を揃えた。


きんさんはタレント顔負けのアドリブで人を笑わせたりしたが、「歳は幾つになったかねえ、役場に行って聞いてこな忘れちゃった」とトボケたり、「景気はええ、景気はええと言っておれば、商売やってる人に通じて良くなりますよ」と世の人を励ましたり、「106歳まで生きようと思っていたのでもういい」と言って、本当に107歳で逝ってしまったのも凄い。


双子にだけ通じる何かがあって、前日にぎんさんが「オレの身体がおかしいわ。きんがおかしいで電話してくれ」と言ったが、家人がそんな事ないよととり合わなかったという。


きんさん天に召される前に「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と布団の中で念仏を唱えていたそうな。青空クンは石文社の方に原稿用紙を振りかざしながら「何万ダ、何万ダ」…。

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