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代表作「父帰る」を残した 菊池 寛

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

菊池寛の「恩讐の彼方に」を高校地代に読んで感動し、芸能界に入ってから村田英雄ショウの司会で九州をまわった折その小説の地を訪れまた感動。帰京したら学校(駒沢大)へロクに行かずに芸人しているだと と父親の怒りを買って勘当。コリャいかんドウと思いながら今ではこの道48年ときた。


菊池寛は明治21年12月26日に四国の高松で生まれ、大正5年京都帝国大学英文科を卒業した。文学の流れも写実派、理想派(坪内逍遥、二葉亭四迷、幸田露伴、尾崎紅葉ら)から浪漫主義(国木田土独歩、泉鏡花、夏目漱石ら)に移り、さらに自然主義(島崎藤村、島村抱月、田山花袋、森鴎外、石川啄木ら)となり、新浪漫派となって(谷崎潤一郎、北原白秋、佐藤春夫ら)から人道主義時代には(倉田百三、有島武郎、武者小路実篤、志賀直哉ら)となり、ここに登場する菊池寛、芥川龍之介、山本有三、斎藤茂吉らの新現実派時代となる。


菊池寛は「忠直卿行状記」「俊寛」「藤十郎の恋」「無名作家の日記」等の作品を残しているが、「父帰る」は最も人に知られた戯曲ではなかろうか。粗筋はというとザッとこんな感じ。


黒田賢一郎の父は20年前に情婦と家出してしまう。残された母子4人は途方にくれ築港から身投げをするが、幸い水の浅いところであったため助かったが、それからが大変、長男賢一郎はまだ八歳。子供ながら一家が生きていくために母、弟、妹の面倒を見ての苦労の日々である。それが20年の歳月を経て、ある日、父が老いさらばえて突然戻ってきた。あれほど恨んでいた母や弟、妹たちはそんな父を許すような様子。納まらないのは賢一郎、「俺たちに父親などいないんだ」。20年前に父親の権利を捨てたんだからと追い返してしまう。その後、弟や妹、母の賢一郎への冷ややかな眼差しを見て、親父を呼び返して来いと追いかける。このあたり、番場の忠太郎を呼び戻しにいくあのシーンに似てるよネ。


今は昔、ボクの高校時代、浅草のストリップ劇場に足を運んだ時、裸の踊りの間にはさまってコントが幾つかあってそれが面白くてハマっていた。ある一場面。明治天皇はじめ陸・海の将軍が会議中、その脇で裸の女が立っている。女はオッパイ丸出しで下の所に僅かの三角の布がついている。一人の将官が立ち上がり長い棒で女体を地図に見立て、「陸軍はこの丘(オッパイ)の陰から攻めて、海軍は(布の当たっているアノ部分を差して)この港から攻撃したいと思います…」。すると明治帝がおごそかに「侍従長、今何時であるか?」「ハ、今午前11時59分であります」「ウン、午前会議を終わる 」にドッ 。


またある日の劇場。カミさんが男と逃げて半年。男はカミさんのオッパイは世界一だったと毎日泣いている。そこへ「あんた、矢っ張りここがいい」とカミさんが戻ってきた。父チャン喜んで上衣を脱がし、巨乳にしゃぶりつく。「アー帰ってきたか、帰ってきたか」。すると袖から黒子が現われ、大きく書かれた紙の字を見せる。そこには「乳帰る」とあった。


その時、文豪永井荷風センセも客席にいたよ。そして菊池センセは多磨霊園でチチでなくツチに返っとるよ。

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