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転々と職を変え 名を変えた 吉川英治

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

浪曲漫才のさがみ三太さんや春日三球さん達と青梅の方に仕事に行った帰りに、吉川英治記念館に立寄った。「オレも物書きになりゃよかったな」と三球さん。声帯模写の、はたけんじさんがすかさず、「物書きは無理でしょ。恥かきぐらいで」。英治の略歴を見たら三球さんが「ヘエ、家系は元武士なんだ」。すると三太さんが「私だって元ブシですよ」、「?」、「浪花節ですから」。どこへ行っても芸人が集まるとまともな会話が無い。


明治25(1892)年8月11日、現在の横浜市中区に生れる。本名は英次。父は海運業界で羽振りが良かったが、英次が小学校の時代に突如海運から悪運に見舞われ金運も悪くなって学校にも行けなくなってしまう。昨日までのお坊ちゃまが今日から丁稚奉公。こりゃ辛いよ切ないよ。


最初に勤めたのが川村印房。次に印刷所の少年工。行商からヨイトマケ、税務監督局の給仕の次が何と流しの按摩までしたという。そりゃアンマリな まだまだ続くよお客さん、雑貨商へ住込みから横浜船渠での力仕事。ここで高い足場から十数メートル下へ落ちて入院し、九死に一生を得た。この時にオラ、もうこんな生活ゴメンだと東京へ出る決心をした。


東京へ出たものの当てはない。又々手提金庫の店から金属象眼の下絵描きに。ここでやっと自分が好きでやれる仕事にありつく。大正2年頃から作家として活路がひらけてくるのだ。 処女作の「江の島物語」が認められた。同時に女の方もツイて、最初の女性が目の覚めるような美人芸妓の赤沢やすさん。イイ女は金持ちダンナが寄ってくる。次々に旦那を代えて英治に貢いでくれる。アー羨ましい。青空うれしに貢いでくれる女募集中!!


しかし女心はわからない。ある日大陸へ行ってしまう。英治も追うようにして大連へ行くが大恋愛も大連哀で終り。向うで書いた小説二編が共に一等という知らせ。日本に戻ってから製薬会社へ勤めながら作家へ。この先もいろいろ苦労はあったがとにかくヒット作に恵まれた大作家。代表作は勿論「鳴門秘帖」、「親鸞記」、「宮本武蔵」、「神州天馬侠」、「新平家物語」などきりがない。


英治はその名に落着くまでペンネームを19回変えている。噺家古今亭志ん生は借金取りに追われて16回芸名を変えている。オウムが何とかいうのに変えたなんてのはメじゃない。


吉川英治が授賞式のパーティーで、徳川夢声に「英治氏は結婚式も新婚旅行もしていない」とスピーチされ、「夢声氏から暴露されましたが、私は結婚式はしなかったが新婚旅行は致しております。この点訂正致します。イヤそれのみではありません。賞を貰ったのは実は今度が初めてであります。競争馬の賞は一昨日買いましたが、これは無知なる動物をそそのかして搾取したものでありまして、取ったのは馬でしてこれは私の克ち得た賞とは言えないのであります」。 実にユニークなスピーチじゃないですか。「この人は英語の新聞読んでましてね」と三球さん。「エージ新聞と言いたいの?」と三太さん。「この辺でヨシカワです」とはたさん。これ以上ははた迷惑!!

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